EBM(根拠に基づく医療)とNBM(経験に基づく医療)
岐阜県医師会報 平成14年1月号 しょうてん
手術不能進行腎癌に対するインターフェロン療法
昨年7月のある日、突然に患者の娘から依頼を受けた。「外来通院で、インターフェロンの注射を打って欲しい」と。患者は74歳の男である。話をまとめると、以下のようなことであった。正月4日に発熱をきたし、近くのA医院を受診した。風邪と言われ通院するも解熱せず、B病院へ転院した。そこで肺気腫と診断を受けたが、肺内異常陰影を指摘され、C病院を紹介された。C病院の担当医は、肺の転移性腫瘍と診断し、原発巣を検索するようD病院へ転院を勧めた。結局、D病院の泌尿器科にて、腎癌の肺転移と判明した。遠隔転移でもあり、手術適応はなしと診断された。泌尿器科医は「退院後、近くの医院でインターフェロン注射を受けるよう」にと、娘に説得したため、当院を訪れたのであった。
インターフェロン治療の妥当性
内科医の小生にとって、進行腎癌の治療は、全く初めての経験であった。手元の成書や注射の添付文書では、腎臓癌に対するインターフェロン治療の有効性については、十分に言及していなかった。そこで、ほんとうにインターフェロン療法を施行すべきか、否かを検討することにした。過去にEBMという言葉を耳にしたことはあったが、インターネット等を利用して、文献を自分で検索したのは、今回が初めてであった。取り寄せた泌尿器科学会雑誌の数編の文献を読み、自分で検討してみた。インターフェロン療法を施行することは、医学的に妥当性があると結論を得て、6ヶ月の予定で治療を開始した。
EBMの手順と意義について
米国やカナダから広まったEBMとは、眼前の患者に対し、過去の研究データを利用する立場の行動指針であると、福井は述べている1)。手順は以下の4つの段階からなる。(1)眼前の患者における疑問点の抽出。(2)信頼性の高い結果(エビデンス)を示す文献の効率的検索。(3)得られた文献の信頼性の評価。(4)文献の結論を眼前の患者に適用することの妥当性の判断である。意義としては、(1)偶然性の強い個人的経験や観察に基づく医療から、体系的に観察・収集されたデータに基づく医療への転換。(2)特定の疾病や臨床手技のエキスパートの経験や直感よりむしろ、第3者による客観的なデータの評価をより重視する。
EBMに対する批判
昨年の秋に読んだ、あるメディカルエッセーにおいて、透析医である某著者はEBMに対して、否定的な見解を述べていた3)。理由は、開始前に明らかなエビデンスがないと新しい治療を行えないことになるから、という。福井はEBMに対する批判と誤解に対して、次のように述べている2)。(1)EBMは、臨床経験や勘を無視するものではない。(2)すべての基礎医学や病態生理の知識が役に立たないといっているわけではない。(3)高騰する医療費を抑制するための手段として導入するのではないかという危惧があるが、あくまでも患者のhealth outcomeの向上を第一の目的としている、と。
NBM(Narrative-based medicine:経験に基づく医療)という概念
一方、EBM推進の立場から、葛西4)は次のように述べている。EBMという言葉の登場で、いくつかの当たり前のことが明らかになっただけである。疾患「disease」とは生物学的側面をみており、病気「illness」とは引き起こされる感情、苦しみを表している。疾患の理解にはEBMを、そして病気の理解にはNBMを用い、医療それ自体が全体を取り戻す時であると。
21世紀初頭の今なぜ、EBMとNBMか
「日常の診療において、すべての医療行為が確実な根拠に基づいているか?」と、問われれば、多分ほとんどすべての医師は、否と答えざるを得ないであろう。忙しい日常診療における大半の医療行為は、自分のいわゆる医学常識に沿っていると思われる。それは医学部学生時代、研修医時代、さらに勤務医または開業医時代に積み重ねられた、医学知識と経験に基づいているであろう。大半の医療行為は、それでうまくいくことが多い。しかし、日常診療における新しい疑問や、自分にとって全く新しい知識に関しては、過去の文献データを調べることも必要である。コンピュータやパソコンの発達に伴い、データ収集が容易になった。今から20年程前に、稀な疾患の主治医になった時、新しい検査や治療を知るために図書館へ行って、苦労して文献データを調べた記憶がある。今回の経験では、比較的容易に、文献を約1週間で入手できた。最近10年間の中で、最も顕著な社会的変化の一つは、コンピュータの発展に伴う、パソコンやインターネットの普及であることは、おおよその人が認めるであろう。
EBMとNBMの共存
オスラー博士5)が「医学は科学(サイエンス)と医術(アート)から成り立つ」と、述べてから久しい。小生が出会った進行腎癌患者における治療として、インターフェロンが有効であることを、エビデンスは教えてくれた。しかし、インターフェロンを注射する時、その患者の痛みや発熱等の苦痛を思いやる心も必要と気がついた。福井1)も述べているように、悩める患者を診る時、最後には患者を思いやる心こそが求められている。EBMとNBMは対立する概念ではなく、共存するそれと考えられる。今年も、EBMとNBMを用い、できるだけ最期まで進行腎癌患者を見させてもらおうと思う。
引用・参考文献
- 1)福井次矢:Evidence-based Medicineの手順と意義 日内会誌 87:2122〜2134,1998
- 2)福井次矢編集 『EBM実践ガイド』 医学書院 東京 1999
- 3)阿岸鉄三:EBMは二一世紀の医療には相応しくない 日本醫事新報 4040:42〜44 2001
- 4)葛西龍樹:EBMの普及で明らかになること 日本醫事新報 4042:73〜77 2001
- 5)日野原重明 仁木久恵訳 『平静の心 オスラー博士講演集』医学書院 東京 1983 K.K